Kikiのつぶやき |
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8月6日
毎年、いろんなことを考える日です。テレビでは、この時期だけ、特番をやっている。 今もどこかで、テロや内戦が起きていて、私の曾祖母や祖母や母のような人が、うまれているのだろうか。 被爆者二世として生を受けたことの重みを、年々強く感じるようになっている。何かできる?何ができる? 被爆した人が亡くなっていく中で、それを伝えるのが、私たちの役割か・・・でも、実際に体験したわけではないから、そのときの話は、あくまで語り部。 じゃぁ、私が体験したことは? あまり今まで言わなかったこともあるけれど、ちょっと書いてみます。 前にもきいたって、という人は、読み飛ばしてね。 #ちなみに、曾祖母・祖母・母は2km地点で被爆 #亡くなった曽祖父・大叔母は500m以内、正確な場所は不明 子どものころ~ ちょうど「はだしのゲン」がアニメ映画になった時期だったと思う(いやがって母が見せなかったので実は観たことが無い)もしかしたら、再放送とかだったのかも。 小学校で、母が広島出身だということで、かるいイジメにあった。いじわるっこが私を触って、「わー、ピカドンがうつった!」と笑った。まわりもわらった。しばらくして、母に「どうして、ママが広島の人だっていったの?」と怒られた。だって、そうじゃん・・・と思ったけれど、それ以来あまりいわなくなった。 それがきっかけだったかはわからないが、母はこの頃、広島であることをあまり言わないようにしており、原爆手帳があるので本当は手続きをすれば医療費が免除になるにもかかわらず、病院では保険証しか出さずに医療費を支払っていたようだ。 学生のころ~ 私は、子どものころから、原爆の話を出来るだけ聞くようにしていた。でも、ふーん、へ~という感じで、ぴんとはきていなかった。一番、よく話してくれたのは、曾祖母だった。 その曾祖母が高齢になり、少しずつぼけてきた。そして、強烈な記憶である、原爆投下から戦後の混乱期の中に、戻っていってしまったようだ。 22才で被爆して、放射能汚染により無くなった次女(私の祖母の妹)の年齢に、私が近づいたからだろう、私を見ると「すみちゃん」と彼女の名前を言うことがあった。 さらにぼけが進行すると、そのうち、私は近所から預かっているお嬢さんになった。ある日、私がテレビを見ていると、「あんた、ここでなにしとるん?!」とどなる。「おばあちゃん、テレビみてるんだよ」というと「なんだかしらんが、もうすぐ、あれらがくるじゃろ?!あずかっている大事なお嬢さんに、あれらは何するかわからんから、はよ帰りんさい!」・・・・あまり否定してはいけないといわれていたけれど、さすがに困ってしまって「だって、おばあちゃん、ここが私のおうちよ」と答えてしまった私を、曾祖母は杖代わりの傘でたたき、玄関までおいたてて、蹴りながら「はよかえりんさい!何されるかわからんでしょ!はよかえりんさい!」と叫びつづけた。声を聞きつけた祖母がかけつけて、「何やってるん!」と必死で止めた。私は、びっくりして声もでない。 部屋に戻って、ひとりで泣いた。曾祖母に蹴られたことよりも、一体どんな体験をしているんだろう?あの頃、どれだけつらかったんだろう?どういう世界に、曾祖母が戻ってしまったんだろう・・・?それを考えただけで、つらかった。かなしかった。ショックだった。 曾祖母が亡くなったとき、哀しいけれど、あぁこれで、おばあちゃんの苦しみもおわった・・・と思ってしまったのも事実だ。家族の苦しみにも、一区切りついたのも事実。 その後、あまり話したがらなかった祖母にも、原爆の話をきいてみた。「ママ(私の母のこと)を抱いて、本家を頼って逃げるとき、やけどした人たちに、たすけて、水をくださいって、何度もお願いされたのに、何にもできなかった。本当に申し訳ないと思っている」と、祖母は泣いた。 それでも、まだ私の祖母たちは恵まれているのだ、と親戚のおばから聞かされた。どうして?と聞くと「だって、KIKIちゃんのひいおじいちゃんたちは、亡くなった後、本家のおじさんたちがどうにかして運んで、ちゃんとお葬式出してもらったのよ。私は、自分のお父さんを、近所の学校の校庭で自分たちで焼いたんだから。そんな人、いっぱいいるのよ」 突然、1発で、20万人に関わる人たちを、こんな風にかえてしまったこと。その重み。 自分の体験を、話していくことで、何か変わるのだろうか? こうして、毎年、まとまらない雑文が増えていくのね。
by KikiVicky
| 2005-08-06 01:39
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